少しずつポチエリの事を書いていきたいと思います☆
幼少期からポチエリが誕生するまで、誕生秘話、店舗や商品に対するこだわりや想い、そして、今後の夢など…

 

これまでの出会いや経験などがポチエリのこだわりと今後の夢に繋がっていますので、最終的にはかなり長文になりますが、よろしければ、ご愛読頂けると幸いです☆(途中、話を書きながら思い出した事など戻って追記することもあります。)

竹岡 恵理子さん

このページの目次

子供の頃の私

幼少期はお店屋さんごっこが好きでした

幼少期の頃から保育園や幼稚園の先生の側にいて、何かを作ったり、真似をすることが好きでした。折り紙やぬり絵、ビーズアクセサリー、手芸、刺繍、編み物など様々なモノを作って毎日楽しんでいました。周りのみんなが集団で遊んでいても気にならず、昔からマイワールドを作っていたように思います。
また、性格が人と同じことをすることが幼少期から苦手で…
小学校の入学式に周りのみんなは白いソックスを履いているのに、なんで白いソックスなの?と一番お気に入りのボーダー柄のソックスを履いていきました。のちに、同級生からなんで1人だけ小学校の入学式にボーダー柄のソックスなんか履いてくるのか?と言われ続けました(^_^;)
その性格は今も変わらず…なぜ?という疑問がこんな商品があってもいいのでは?に繋がっているのです。

そして、幼少期からおままごとで、姉とよくお店屋さんごっこをしていて、小学校の卒業文集で書いた将来の夢は「雑貨屋さん」でした。しかし、この夢はポチエリになるまで、すっかり忘れていまして…ポチエリになってから、そういえば、将来の夢は雑貨屋さんだったなぁ〜と思い出したのです。なので、夢に向かって頑張ったわけでは無くて、気付いたら夢を叶えていたという感じなんです。でも、振り返ると、全ては繋がっていました。

ハウスマヌカンになる事に憧れて

私が高校生の頃は、DCブランドが流行っていて、ショップ店員のことをハウスマヌカンと言われていた時代で、ハウスマヌカンになる事に憧れていて、高校2年生の時には文化服装学院の通信教育で洋服全般に関する事やデザインなどの勉強をしていました。
(昔から興味がある事には勉強を惜しまない性格で、自分が納得いくまで勉強をします。逆に言えば、興味が無い事には全く勉強しないので、良いのか悪いのか分からないのですが…勉強は嫌いでは無いので、この後の就職後もいろいろ勉強していく事になります。)
結果的には、就職先を決める時、「どうせ働くなら、日本海側で一番の百貨店に就職しよう!!」と思い、百貨店に就職し、配属先は入社式まで分からないのですが、たまたま偶然、婦人服売り場に配属されました。

初めての製作は文化祭のベスト

就職のお話の前に…高校3年生の時、私達の代から体育祭が無くなり、文化祭のみの開催になりました。クラスで文化祭をどうやって盛り上げていくか?という話し合いになり、私達のクラスは歌が上手な人が多かったので、カラオケの喫茶店をやろう!!という事に。お店の名前をどうするか?服装は?店内の装飾は?…と私にとっては、とってもワクワクすることばかり✨当然、先頭に立ってやる気マンマンになりました✨興味がある事に関しては、どこから力が湧いてくるのか分かりませんけど、誰よりも率先して行動をする性格が発揮された場面のひとつです٩( 'ω' )و

お店の名前はいろいろ辞書で調べて「Cheers(チアーズ)」(乾杯)がいい!!と提案したら採用して頂けました\(^ω^)/

次に衣装はどうするか?という事で、ボーイっぽく、みんなでベストを着用したらいいんじゃないか?という話になりました。そしたら、クラスメートの中で繊維会社に知り合いがいるから生地を分けてもらえないか行ってみよう!!という話になり、代表の男性3名、女性6名の9名で訪問し、事情を説明したら生地を分けて頂けることになりました✨今でもその繊維会社に感謝の気持ちでいっぱいです✨生地はいろんな柄があり、生地に触れたり選んだりすることにすっごくワクワクしました。最終的にボーイ風のベストなので、グレンチェック柄と黒の無地を分けて頂きました。

その日から文化祭まで2週間くらいだったと思いますが、毎日学校帰りに同級生の家に代表メンバー9名で集まり、夜中12時までクラスメート全員分(43人くらいだったと思います)のベストを製作する日々が始まりました。この時、初めて型紙を作って、みんなに作り方やボタンの付け方などを伝えて、作ったベストを確認するという経験をして、毎日寝不足なのに、とっても楽しい〜!!と思いました。将来ものづくりの仕事をするとは全く思わず、気付いていないのですが、これが始まりだったような気がします。

そして、文化祭当日は、表はカラオケが上手な同級生にお任せして、私は率先して裏方にまわり、ドリンクなどのオーダーをみんなに「次これ」「次これ」と捌く役割をしました。すごく忙しく、とても大変でしたけど、終了後は達成感でいっぱいでした☆カラオケ喫茶店も盛り上がって大成功で、みんなで一つの目標に向かって頑張り、クラス全体で仲良くもなり、本当に良い貴重な経験でした。私の提案や想いを取り入れてくれたクラスメートのみんなと先生に感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございました💕

そして、連日帰宅するのは夜中1時くらいでしたけど、なんにも言わず、黙って見守ってくれた母にも感謝してます☆多分、私が楽しく一生懸命頑張っている事を理解してくれていたと思います。そして、母は私がやりたい事には絶対反対しません。いつも「お前がやりたいならやりなさい」と言ってくれます。そのおかげで今に繋がっていると思います。反対されても、やりたい事は最後までやり通す性格を分かっていたのだと思いますが…いつも信頼してくれて、そして、自由にのびのび育ててくれたおかげです(^ ^) 父はこの年の春に病気により他界したのですが、母と同じだったと思います☆

百貨店に就職

いよいよ就職です。4月1日の入社式の前に研修があり、3月13日から始まりました。接客の仕方や電話応対、包装など必要な事を教えて頂きました。

そして、入社式当日は、入社式終了後に配属先が発表されました。ドキドキしながら、配属先の3階婦人服売り場に行きました。すると、配属先の部長から「今日はテレビの撮影があるから、よろしくお願いします」との事で、夕方のニュース番組の中の新入社員紹介で出演させて頂きました。なので、私にとって、平成元年4月1日は1日中緊張感のある、とても長い記憶に残る1日になりました。

しかし、婦人服売り場でのお仕事は、私が憧れていたハウスマヌカンの世界とはほど遠く…バブルの真っ只中の為、とにかく忙しい毎日でした。入社後、すぐに母の日のプレゼントでお求めになるお客様がとても多く、まだギフト包装が身に付いていない私はお客様から「遅い!!」とお叱りを頂きました。その日の夜、もう二度と同じクレームが発生しないようにギフト箱を持ち帰って、新聞紙で包装の練習を早くキレイに包装が出来るまで、ひたすら何回も何回も練習をしました。お客様から見たら、同じ制服を着用している為、新入社員なのかどうかは分からないので、全ての販売員が同じ事を求められるのは当然だと、その時に学びました。なので、包装だけでは無く、様々な百貨店の事や商品知識など、まず自分が勉強して、周りに勉強会などを重ねて波及していきました。

百貨店での経験はとても学びが多く、今の仕事が出来るのも百貨店で学ばせて頂いたおかげだと思ってます✨

自主編集売り場に勤務

仕入れ形態が買取り仕入れと消化仕入れがあり、買取り仕入れで百貨店の社員が運営する売り場を自主編集売り場といい、私は新入社員の時から退職するまで自主編集売り場に勤務していました。初めの11年間は主に百貨店や専門店にしか展開されていないミセスのカジュアルブランドでした。海外ブランドなどと違い、知名度が高く無いので、大変厳しい売上げで…入社3年目から店長になり、どうしたら売上を上げる事が出来るのか?と日々悩みました。買取り仕入れの場合は、売上が高くなればなる程、利益率が高いので利益を生み出す事が出来ます。でも、なかなか思うように売上が上がらず、売上が好調な売り場はどのような接客をしていて、どのように商品を展開しているかなど、自分なりに研究をして、売り場に取り入れていき、最終的には、売上も収益も上げる事が出来て、百貨店とメーカーと両方から社長賞を頂くことが出来ました。この成果は私1人では無く、一緒に頑張ってくれた後輩みんなのおかげです。
ようやく全てが安定し、ホッとしたところで、次の辞令が発令されました。

今まで箱場と呼ばれるショップの運営から、次はたくさんのメーカーで豊富な品揃えを展開する平場と呼ばれる売り場(自主編集で買取り仕入れ)に異動になりました。
同じ婦人服でも箱場と平場の売り場は運営が異なります。
その為、また新たな課題にぶつかることに…

百貨店で出会った4人

その前に、辞令が出る前までに、私にとってもポチエリにとっても非常に影響が大きい4人との出会い、そして、与えて頂いた役割についてお話させて頂きます。

憧れの女性の先輩

1人目は、入社した時に初めて出会った女性の先輩です。
新入社員にはマンツーマンで先輩が付き、その先輩が様々なことを教えてくれます。指導用のチェック表があり、たくさんの項目を見習い期間の3ヶ月で学ぶ仕組みになっていました。
私のマンツーマンの先輩は課のリーダーでもあり、社内全体のリーダーの中のリーダーで、周りの皆さんや社内でも期待されていて、様々な場面で活躍されていた憧れの先輩でした。でも、全然偉ぶらず、いつも優しくて、とってもお茶目で、なんでも相談しやすくて、とても人望があって…私もこんな女性になりたい!!と思いました☆
入社して2年目の秋頃、先輩が会議から帰ってきました。でもいつもと様子が違い…フィッティングルームの中に入って、大泣きしていました。どんな場面でも、いつも笑顔の先輩が声を上げて泣いていて、とても驚きました。そっとフィッティングルームの扉を開けて、先輩に何があったのか尋ねました。すると泣いている事を謝りながら、やりたいと思う事があり提案をしたけど、ものすごく反対されて、力の無さを感じた事が悔しいという事で…先輩が一生懸命頑張っている姿を日頃身近で見ている事もあり、先輩の想いが痛い程分かり、2人で抱き合って泣きました。その時にどんなに華やかに見えても、実は辛い事がたくさんあり、それを見せずに頑張っていたけど、隠せないくらい辛い事があるという事を知りました。
それから、私がもっと先輩を支えられるように頑張らなくては!!と思い、必死に頑張りました。そして、のちに自分の役割の中で先輩と同じ経験と思いをすることになります。この時の私はもちろんまだ気付いていません…
その後、春に先輩は課長に昇進され、異動になりました。
私としては、離れる事になるので、女性で課長になる事はとても喜ばしい事ですが、泣いて離れたくないとわがままを言い、困らせてしまいました(^_^;)
でも、先輩の背中を見つめて、私も頑張ろう!!と思い、頑張れたので、初めての先輩が素敵な先輩で良かったとずっと思っています。そして、今はポチエリのお客様として、応援してくれて、先輩はずっと私の先輩です✨

ブランドの店長

次に2人目は、お世話になったあるブランドの店長です。
婦人服売り場には、たくさんのブランドのショップがありますが、その中でも全てにおいて、とても学ぶことが多いブランドがありました。
いつも売上が多く、何故?と思い、自分なりに研究してみると開店前や閉店後の過ごし方、1日の動き、お客様との接し方、顧客管理、数値管理、勉強会など、いろいろ努力をされている事が分かりました。
前述のように、売上が全く取れなくて、悩んでいた時に、日々の努力の積み重ねが出来ていなかった事に気付かせて頂き、自分が出来る範囲で真似をさせて頂きました。この時に学んだことは、今にも繋がっていますので、身近で素晴らしい取組みをされているブランドの刺激を頂けた事は本当に嬉しかったです✨外部要因(お天気や場所など)もいろいろありますが、課題や大切なことは他にあるということをこの時に学ばせて頂きました。
のちに店長のおかげでポチエリが誕生することになります。詳しくは、また後ほど(*^^*)

のちにキーマンとなる部長

そして、3人目は私が入社3、4年目の時の部長です。組織なので、約2、3年くらいで部長や課長は変わります。
部長が変わるとリニューアルがあったりします。新入社員の時は3階下りエスカレーター前に私の売り場はありましたが、2年目にリニューアルがあり、お客様があまり通らない場所に移動になりました。その時のリニューアルでは、ブランドを前面に出して、自主編集売り場は売上が厳しい事から奥の場所に…
何故、売上が厳しいのかというと、前述の通りです。
お客様に支持を得る為にどうしたらいいか…試行錯誤の毎日でした。また、これまで取り組んでいない事を実践していこうと思うと「こんな事してなんか意味あるんですか?」と反発してくる後輩もいて、なかなか同じ想いを分かちあってもらえませんでした。でも、どんなに反発されても私はやり続け、お客様が増え、売上が伸びてきた頃にようやく後輩にも理解してもらえ、同じ方向を歩む事が出来ました。
そして、4年目の時にまたリニューアルがあり、その時の部長が自主編集売り場を下りエスカレーター前に戻して下さり、順調に売上が伸びていくことになり、さらに社員のやる気が増していき、とてもいい雰囲気になりました。
これも社員が活躍出来る環境に整えて下さった部長のおかげだと思っています。また、諦めずに努力し続けていたら、見てる人はちゃんと見てくれていて、良い環境に導いて頂けるという事を学びました。
そして、この時の部長もポチエリにとってキーマンになります。また後ほど(*^^*)

大切な女性

そして、4人目は右も左も分からない新入社員の私をとても大切にしてくれて、ポチエリに繋がる忘れてはいけない大切な女性です。
また後ほど詳しく書きたいと思います…

3つの役割

次に与えて頂いた役割についてですが、私には3つの役割がありました。

ショップの店長としての役割

前述にも書きましたが、ショップの店長として、後輩の指導育成、売上管理、在庫管理、顧客管理、仕入れなどを勉強させて頂きました。特に仕入れでは、買取り仕入れの為、在庫を残さないようにお客様がどのような商品を好み、どんな色やデザインがお好みなのか…など細かく把握をして仕入れをするという事を経験いたしました。その経験は、今の仕事にも繋がっています。詳しくはまた後ほど書きたいと思います。

また、余談になりますが…何故か配属されてくる後輩が背格好や顔が私に似ている後輩が多く、よくお客様から「このお店は姉妹でされてるの?」と言われる事が多かったです。類は友を呼ぶのでしょうか?笑 でも、チームとして楽しく過ごせたのも一生懸命付いてきてくれた後輩のおかげだと思っています☆

課のリーダーとしての役割

それぞれのフロアの中に所属する課があり、課単位に課長、課長代行、リーダーという役職があります。そして、働いている人は大和の社員だけでは無くて、パート、メーカーの社員、派遣の方、アルバイトなどフロアにはたくさんの人が働いている為、店や部、課の方針を伝えたり、理解してもらったり、様々なことについて勉強会を開催したり、いわゆるみんなのお世話役です。20歳の頃からリーダーを仰せつかっていたのですが、周りに働いている方の方が年上なので、いろいろ教えて頂き、支えられていたおかげでリーダーとしての役割を進める事が出来て、周りの皆さんに育てて頂いたと思ってます。時々、課長から注意される事もありましたが、その時も周りの皆さんが守ってくれました。様々な場面で助けて頂いていたので、私も皆さんの為に一生懸命に頑張る事が出来たと思います。大変な事もたくさんありましたけど、お願い事も皆さんがいつも「わかったよ」と快く引き受けて下さったおかげで運営が出来ていたので、本当に感謝しかありません。

組合の執行委員としての役割

入社4年目の夏、その日はお休みでしたので、遊びに行って楽しい気持ちで帰宅したら、留守番電話が入っていました。内容は「組合の執行委員を是非お願いしたい。今日中にお返事が無ければ執行委員になりますので、よろしくお願いします」と。帰宅したのは夜中で…翌日になっていた為、強制的に執行委員になることに…ガーン(T_T)この日の出来事は生涯忘れられませんけど、結果、とても貴重な経験と学びが出来ましたので良かったと思ってます。

組合の執行委員として、職場を持ちながら、支部執行委員2年、中央執行委員10年くらい経験させて頂きました。主に女性の働く職場の改善でした。元々、入社した時から同じ職場内で男性と女性の働き方や賃金などの違いに疑問を持っていました。のちに男女雇用機会均等法の法律が制定されたり、女性の働く職場改善に社会全体で動きが出てくるようになりました。百貨店は働いている人が7割くらい女性ですが、役職に付いているのは9割男性なので、女性の意見を伝え、改善していく必要がありました。

では、どのように改善したらいいのか…たどり着いた答えは自分が働きやすい職場はきっとみんなも働きやすくなるはず!!という事でした。もちろん、周りの皆さんから改善して欲しい事などのお声を聞き、どうしたら働きやすくなるかを常に考えていました。この学びは、今の仕事にも繋がっているように思います。

しかし、全店舗(その当時は7店舗)の女性の代表として中央執行委員に選出された時はものすごく悩みました。経営者の皆さまにどのように女性の意見を伝えたらいいのか…何も言えない、どうしたらいいか分からなくなっていた時に当時の副委員長から「難しく考えなくていいんだよ。まずは自分が模範になるように頑張って、認めてもらうことが女性の道を作ることだから」と。とにかくやるからには頑張るしかないと思うと同時にプレッシャーを感じた瞬間でした。
そして、3月に初めて団体交渉いわゆる春闘を経験しました。経営者側と組合側でいろいろ話し合いを重ね、決裂の繰り返しで、3日間帰宅することも出来ず、連日徹夜でした。交渉が決裂したら、その都度、中央執行委員のメンバー全員で真剣に話し合い、時には意見がぶつかり合い、とても緊迫していました。そして、交渉がまとまった後は、メンバー全員で泣きました。それぞれみんないろんな思いがあり、私は自分の未熟さと無力さを実感しました。同時にこれほど真剣に何かに向き合っきていなかった自分に反省しました。なので、私は悔しさの涙が出て止まりませんでした。でも、男性の中で女性は1人でしたけど、この時、ようやくメンバー全員に受け入れてもらえ、仲間として認めてもらえるようになりました。組合を退任するまで毎年交渉には参加させて頂き、この経験は、未だに忘れられず、最後まで諦めない気持ちの大切さなどを学ばせてもらえたと思っています。

組合での経験は、とても学びが多く、利他の精神の大切さを教えて頂きました。社内には様々な働き方や職場、役職、年齢など1人1人考え方や価値観も違うので、自分の考え方や価値観で物事を判断してはいけない事や様々な角度から冷静に物事を見なければいけない事など…木を見ず森を見る、文章をただ読むのではなく、その文章の行間にどんな想いが込められて書いてあるのか、全体や物事をしっかり見て判断することの重要性を教えて頂いたと思っています。まだまだ未熟ですが…
その後の経験の中にも自分の価値観で物事を判断してはいけない事を学ぶ機会が訪れますので、また後ほど詳しく書きたいと思います。

つづく

*只今製作に集中しております。
落ち着きましたら更新いたします🙇‍♀️